2012年7月22日日曜日

完全「ノーマーク」・その1/十和田市にて

オラの地元十和田市・・・またの名を「三本木」(さんぼんぎ)とも言う。

その昔(江戸時代)、奥州街道の筋から
3本の「シロタモの樹」が見えたことから、「三本木」という名前が付いたという・・・

また街道筋にあった、わずかばかりの集落が
その後の三本木(十和田市)の元となったことから
「元村」(今の十和田市元町)になったと云われる・・・

オラ、生まれてこの方40有余年
元町の神社「元町神明宮」を、その云われある神社だと思ってました・・・(下の写真)

ところが ウチのジジ・ババにその話をしたところ・・・「それ 違がるべぇぇ!」 
ガビーン!・・・知らないとは恐ろしいこと。
「何処よっ!」って尋ねると、件の「元町神明宮」から近いところに有るという。

そんなわけで
自分の不明をただすために行って来ました
元町の「大清水神社」 (下の写真2点⇓)
 
こじんまりとした神社ではありますが
確かに「三本木」の起源を説明した案内板もあり(下の写真⇓)
「シロタモの木」も植えてあります。

オラ、この神社の前を、車で何回も通っているんだけどねぇ・・・
完全「ノーマーク」 でした。
地元なのに知らない事だらけだなぁ・・・

本日は ここまでっす  2012.7撮影

2012年7月15日日曜日

「工場萌え」か「八戸萌え」か・・・?/八戸市にて

最近「工場萌え」という言葉を、耳にする。
家で読んでる新聞(デーリー東北)でも
ここ一年の間に 、度々この言葉を目にするしね・・・。
確かに八戸って、この言葉が「ハマっている」街かもしれないっすよ・・・。
製紙工場、セメント工場、造船所
製鉄所、石油タンク。 飼料ヤードに、火力発電所
どれも大きい施設ばかりで、人目を惹きつけない訳がないよねぇ。

でも八戸の魅力って、それだけじゃないんですよねぇ・・・
たとえば・・・舘鼻岸壁、陸奥湊の市場
蕪島、中心街の横町群・・・ついでに言えば いい女も多いのかな・・・??。
八戸って「ほどほどに都会で、ほどほどに田舎」
絶妙なバランス感がある街だと思うんですよ。

オラは、そんな「新産都市・八戸」が大好きだなぁ。
いわゆる「八戸萌え」ってヤツですかねぇ・・・!?

本日は ここまでっ  2012.7撮影

2012年7月10日火曜日

まわり道・・・偶然にも「三鉄」/八戸市にて

2012年7月1日 日曜日

いつものごとく
八戸で写真を撮っていた時のこと

鮫駅から陸奥湊方向へ、車を走らせていたら
踏切の遮断機が下りた。

ただ踏切待ちしてるのもシャクなので
「ど~れ、八戸線の列車でも撮ってみるかな」と
踏切にカメラをむけて、列車が来るのを待った。

列車がやって来た。
やって来たのは・・・いつもと違うデザインの、新しめの列車だった。

写真を撮った。
でもこの時は「JR八戸線」の列車・・・くらいの認識しかなかった。

でも・・・あとから調べてビックリ(*_*)

このとき写真に収めた列車は、なんと「三陸鉄道」 だった

八戸市・鮫町/JR八戸線 鮫街道踏切にて
三陸鉄道のディーゼルカー 36-207形
鮫駅方向へ進行中の姿
しかも・・・7月1日から9月末まで
岩手県の田野畑駅から土日限定で
JR八戸線に乗り入れ運行した 「初日」 だったとのこと。
まさしく゛偶然の出会い゛でありました。

がんばれ「三鉄」・・・
本日は ここまでっ

2012年7月8日日曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その1/八戸市にて

2012.7.8(日)
八戸市・轟木にて/青森県道15号 橋向五戸線
尻引・市川方向を見る。
まずは上の写真を見て欲しい。
八戸市の轟木(とどろき)地区で、撮った1コマである。

興味のない人から見ると
ただの「道路」と「道路標識」の写真にしか見えないと思う。

しか~し・・・その手の「マニア」にとっては
「ほお~!」って、言いたくなる存在なのである。

実は写真に写っている道路標識
マニアの間では、通称「白看(しろかん)」と呼ばれているものである。
昭和20年代の中頃から、昭和40年代の中ごろまでに
造られた標識の゛生き残り゛である。

当方マニアじゃないので
あいにく、これ以上の正確なデータは持ち合わせていない・・・

いまの「道路標識」に比べると、かなりシンプルである。
書いてあるのは、「矢印」と「行き先」と「キロ数」だけである・・・

それでも・・・カーナビも、なんも無かった、昔のドライバーは
みんな この標識を頼りに、クルマを走らせたんだろうね・・・


それに比べると・・・道路も改良され、カーナビも普及した
今のオイラたちは、ナンボ楽してるもんだか・・・・

きょうは、ここまでっ。  ※ 残念ながら、撤去されました。(2014.1確認)

2012年7月1日日曜日

その名も・・・「地獄沢」/八戸市・南郷にて③

またまた八戸市・南郷の話である。
ただし今回は「予備知識なし」の行程である。
当然地図にすら、その「地名」は載っていない・・・

と言うのも、今から10年近く前、南郷区の島守で道に迷った時に
集落の人に道をたずねたら
「山道通れば、是川(これかわ)さ行げるよ」と言われて
採石場の所まで行ったけど
「通れないじゃん・・・」って、引き返したことがある。

今回は、それを覚えているが故に
「他人様の敷地」だったら、潔く引き返そう・・・って位の気持ちで
あえて走ってみた。
 
 
島守の巻集落へ向かうと
新井田川沿いに、採石場が見えてくる。
道路の上には、砕石を移動させる「ベルトコンベアー」がある。
前に引き返したのは、この地点である。(⇓)
見た感じ、業者の採石場の敷地にみえるので
「やっぱダメかな・・・」と思ってたら、フツーに乗用車が走って来たので
「行ける・・・」と確信して、その先を走り始めた。

程なく゛落石地帯゛なのか「巻ロックシェード」が現れる。(⇓)
うん、フツーに道路である・・・
それを知らなかった自分を恥じる。

そこを過ぎると
以前は「採石場」だったと思わしき場所が、目の前に広がる。(⇓)
「一体 ここは何処なんだ??」そんな不安が 頭をよぎる・・・

そこを過ぎて間もなく
屋根のかかった2つの大きい゛岩゛にたどりつく。(⇓)
クルマを降りて確認してみる・・・「地獄沢・磨崖仏(まがいぶつ)」と称している。
名前の由来は分からないけど、たぶん「地獄沢」と呼ばれているとこだなぁ・・・と納得する。
その先を行くと、また「ベルトコンベアー」が現れる・・・
そのうえ 道路も悪くなる。(⇓)
いよいよ「行き止まりかぁ?」 なんて思ってると、また乗用車が通り過ぎた。
「まだ行ける・・・」 車を走らせる。

採石場の泥だらけの凸凹道を進み
狭い橋を渡ると、民家が見えてきた。
その先を進むと、急に道路が広くなった。
そこからは道なり・・・
新井田川沿いに進むと、集落が見えてくる。
最終的には、是川遺跡の「縄文学習館」を過ぎたあたりの交差点にたどり着く。

長々と書いてしまったが
ナンか不思議な道路である・・・

きょうは、ここまで  2012.6撮影

 道路沿いには「稼働中の採石場」や「立入禁止」の場所があるので
  御通行の際は、この点を留意されたし・・・ 

※1. 八戸市道「西母袋子(にしほろこ)線」 これが正式な道路の名称です。(2013.1)
※2. 2013年3月18日(木)に、道路改良された「西母袋子線」が正式に開通しています。
(→道路改良後の記事はコチラ)