2015年6月22日月曜日

まわり道・・・ラーメンショップのラーメン・その2/八戸市にて

久々に「ラーメン」の話である。

八戸市は糠塚(ぬかづか)・国道340号沿い
図南(となん)小学校のそばにある、「うまいラーメンショップ」である。
これまでも何回か入った事があるんだけど、昼時は常に混んでいる店でもある。
実はこの店、別料金で「メンマ」や「味付けネギ」を単品でトッピングできる他に
チャーシューも、一枚単位で追加できるのがミソ(*_*)
そこで・・・「ラーメン小」(550円)と「ライス小」(100円)
さらにチャーシューを二枚追加(60円×2=120円)で頼んでみた。
数分後・・・「ラーメン小」と「ライス小」が登場。
豚骨ベースの醤油スープに、やや中太の縮れ麺組み合わせ・・・これが食べやすい。
(当然、おろしニンニクとブラックペッパーも足したけど)
チャーシューも程好い柔らかさもあり、都合3枚で十分に満足できた。
うめぇがったぁぁ・・・(^^)
興味を持った方、是非寄ってみて・・・おススメです。
本日はここまで  2015.6撮影

◎青森市で食べたラーメンショップのハナシは →コチラ

2015年6月12日金曜日

まわり道・・・看板・その11/十和田市にて

旧国道4号・十和田市商店街の中央バス停付近
100メートルほどの距離に2か所存在する
「新渡戸記念館・400m」の案内標識。
※下記写真(下2点)の標識は、撤去されました→2016.7確認
前回のブログで紹介した、太素塚(たいそづか)にある
「十和田市立・新渡戸記念館」へ案内する為の標識なんですが・・・
いかんせん新渡戸記念館は
建物の耐震強度不足や諸々の事情で、今年の4月1日から閉館しています。
(※その後の動向が定かではないので、詳細等々は割愛します。)
太素塚内にある「十和田市立・新渡戸記念館」(現在閉館中)
実は、この「新渡戸記念館」の案内標識が掛けられる前に
同じ位置に青森方向に「↑青森 →八戸」
また盛岡方向に「↑盛岡 ←八戸」って
国道の案内標識が掛けられていました。
何故かと言うと・・・昭和55年(1980)頃まで
国道4号・商店街から八戸方面へ向かう時は、商店街の中央交差点から
(旧・中央バス待合所前。現在はスーパー・ホテル前の交差点)
産馬通り~太素塚の前を経由して、国道45号へ合流。

逆に八戸方面から、青森・盛岡方面へ行くのには
商店街の゛一丁目交差点゛で国道4号に合流・・・という
「一方通行」が実施されていました。
(※いつ頃から始まったのかは不明)
旧国道4号・十和田市1丁目交差点付近
なので、この「新渡戸記念館」の案内標識は
「一方通行」の規制が解除された後に、掛け替えたモノ。
ちなみに標識の支柱には、国道時代の名残りが・・・ ⇓
ただ、記念館の今後の動向しだいでは、この標識の去就も「??」。
でも、とりあえず記事にしてみました。

本日はここまで  2015.4~5撮影

2015年6月11日木曜日

まわり道・・・「ジオラマ」・その3/十和田市にて

前回に続いて、十和田市民交流プラザに展示されている
「ジオラマ」の話であります。
「太素祭(たいそさい)」のジオラマ。 
(作者はジオラマ作家・山本高樹氏)

十和田市の、新市制施行10周年記念のジオラマ・第2弾で制作されたものです。
すると、前回紹介した「三本木駅」のジオラマ
第3弾ってコトなのかな・・・?。 (←わかんないけど)
「太素祭」ってのは・・・三本木開拓の祖・新渡戸傳翁(にとべ・つとう)が
十和田市を流れる、人工河川・稲生川(いなおいがわ)の上水に成功した
1859年(安政6年)5月4日に合わせて、翁の功績を讃えるべく
毎年5月3日~5日まで開催されている、お祭りであります。
昔は、相当賑わった祭りだったらしいですけど・・・。

ジオラマは、昭和30年代の゛大名行列゛が行われている
太素塚(たいそづか)前の
産馬通り(さんばどおり)がモチーフになっているみたいです。
ちなみに・・・オラが小学生だった、昭和50年代後半あたりでも
けっこう賑やかな、お祭りだったんです。

産馬通りの、東裏通り(商店街の一本東側)~太素塚の境内まで
出店が゛ズラ~っと゛並んでいて、当時の十和田に住む子供たちにとっては
「十和田市秋祭り」と並ぶ、一大イベントだったんです。
それも、時代の流れなのか、お祭りがドンドン小っちゃくなっていって
いまでは・・・太素塚の境内で「地味」にやってます。
十和田市民として、もっと取り上げなきゃならないお祭りなんだけどね(^^ゞ
「ホント、どうにかなんないかな・・・??」と、思ったりもした次第であります。

本日はここまで  2015.4~5撮影

2015年6月6日土曜日

まわり道・・・「ジオラマ」・その2/十和田市にて

十和田市の市民交流プラザ(通称/トワーレ)の
エントランス・ホールに展示されている「ジオラマ」の話です。
以前、このブログで取り上げた
十和田市の「十鉄バス発着所」のジオラマに続いて、製作された作品
「十和田観光電鉄・三本木駅」。 (作者は前回と同じく、ジオラマ作家・山本高樹氏)
実はこの駅舎、モノクロ写真でしか見た事が無いんです。

それもそのはず・・・
昭和30年に竣工、十和田市の玄関口としての役割を担ったものの
不幸にして、昭和43年(1968)5月に発生した十勝沖地震によって駅舎が倒壊。
急きょ、同じ場所に平屋の駅舎に建てられ、のちに「十和田市駅」と改称。(※)
昭和60年(1985)10月、「とうてつ駅ビル」が出来るまで使われた経緯があります。
なので・・・リアルタイムの記憶が無いだけに (オラ、生まれる前のハナシだもん(^^ゞ)
「こんな感じだったんだぁ~!」と感慨すること然りであります。

ただし、ジオラマにあるタクシー無線用の鉄塔だけは、のちの駅舎でも使われたので
記憶には有るんですけどねぇ・・・。
ボンネットバスをはじめ、ジオラマの裏側には
かつての十鉄の電車も再現されています・・・芸が細かい(^^)
ちなみに・・・「とうてつ駅ビル」が建つ前の駅舎は
駅ビルのあった場所より、200メートルほど西側にあったんです。
もっとも今では、ホームセンターとか家電量販店などの敷地になっているので
面影は、ほとんどありませんけどね。

本日はここまで  2015.4撮影  (ジオラマ・その3へ続く→)

※ 昭和44年(1969)に「三本木駅」→「十和田市駅」に改称。