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2016年2月20日土曜日

「白看」のある風景・その12/青森・南部町にて

久々に旧道路標識「白看」のハナシ。
ただし・・・すでに撤去されたもののハナシなんだけどね。

青森県三戸郡南部町、旧国道4号(現:青森県道258号、三戸・南部線)の上に存在した
「三戸駅 SANNOHE STN」の案内標識。
劣化が進んで、ボロボロだったので
かろうじて「三戸駅」と読めるかな??って感じでした。
本来は「赤色」だった矢印→も、劣化で色が抜け落ちていました。

この写真を撮ったのは2012年の10月下旬。
翌年の春に同じところを通ったら、撤去されていました。

ちなみに「三戸駅」は(※JR三戸駅→現在:青い森鉄道・三戸駅)
駅名こそ「三戸」ですが、実は隣り町の南部町に存在します。
もっとも三戸町とは、馬淵川(まべちがわ)を挟んだ゛ほぼ境界近く゛なんですけどね・・・。
これが青い森鉄道・三戸駅/※2015.10撮影
そして駅前の道路も、距離は短いのですが
れっきとした゛青森県道゛との事です。(青森県道152号・三戸停車場線)
これが駅前の通り(青森県道152号・三戸停車場線)/※2011.7撮影
突き当りの交差点が旧国道4号です。
調べると、奥が深かった・・・
本日はここまで。

2015年10月1日木曜日

「白看」のある風景・その11/青森・階上町と八戸市にて

久しぶりに、旧道路標識「白看」のハナシであります。

青森県八戸市から岩手県洋野町大野(旧:大野村)を結ぶ
゛青森県道゛並びに゛岩手県道゛11号(八戸・大野線。通称:久慈街道)

この県道の青森県側は
八戸市と三戸郡階上町(はしかみちょう)の境界線上を縫う様に通っている為
ところどころに「八戸市」「階上町」の境界表示が出没します。
その中で見つけた「白看」を2つ程紹介・・・。

まずは一つ目・・・階上町・田代地区。青森県道142号(名川・階上線)との交差点。
階上町の案内看板の下に、地味に存在しています。
明らかに、書き換えた跡が見えますが・・・。
これは昭和55年(1980)4月、町制施行で「階上村」から「階上町」となったので
「村」の部分を「町」に、下のローマ字表記も「V(village)」から「T(town)」へ
書き換えたものを、いまだに使っているんですよねぇ。
そしてもう一つ・・・田代地区の交差点から、八戸方向へ走り進めると
ちょうど八戸市に入ったあたり(※住所的には「八戸市・松舘牛ヶ沢」付近だと思うけど・・)
県道の脇に、「八戸市 HACHINOHE C.」と書かれたものが
ちょこんと存在しているのを確認できます。 (支柱がサビ錆だけど・・・)
以上、八戸市と階上町の県道上で見つけた「白看」のハナシでしたっ!。

本日はここまで  2015.6撮影

2015年6月12日金曜日

まわり道・・・看板・その11/十和田市にて

旧国道4号・十和田市商店街の中央バス停付近
100メートルほどの距離に2か所存在する
「新渡戸記念館・400m」の案内標識。
※下記写真(下2点)の標識は、撤去されました→2016.7確認
前回のブログで紹介した、太素塚(たいそづか)にある
「十和田市立・新渡戸記念館」へ案内する為の標識なんですが・・・
いかんせん新渡戸記念館は
建物の耐震強度不足や諸々の事情で、今年の4月1日から閉館しています。
(※その後の動向が定かではないので、詳細等々は割愛します。)
太素塚内にある「十和田市立・新渡戸記念館」(現在閉館中)
実は、この「新渡戸記念館」の案内標識が掛けられる前に
同じ位置に青森方向に「↑青森 →八戸」
また盛岡方向に「↑盛岡 ←八戸」って
国道の案内標識が掛けられていました。
何故かと言うと・・・昭和55年(1980)頃まで
国道4号・商店街から八戸方面へ向かう時は、商店街の中央交差点から
(旧・中央バス待合所前。現在はスーパー・ホテル前の交差点)
産馬通り~太素塚の前を経由して、国道45号へ合流。

逆に八戸方面から、青森・盛岡方面へ行くのには
商店街の゛一丁目交差点゛で国道4号に合流・・・という
「一方通行」が実施されていました。
(※いつ頃から始まったのかは不明)
旧国道4号・十和田市1丁目交差点付近
なので、この「新渡戸記念館」の案内標識は
「一方通行」の規制が解除された後に、掛け替えたモノ。
ちなみに標識の支柱には、国道時代の名残りが・・・ ⇓
ただ、記念館の今後の動向しだいでは、この標識の去就も「??」。
でも、とりあえず記事にしてみました。

本日はここまで  2015.4~5撮影

2014年6月4日水曜日

「白看」のある風景・その10/十和田湖・休屋にて

旧道路標識、通称「白看」の話です。
今回は、十和田湖畔の休屋で発見しました。

場所は、国道103号と休屋の中心街へ分かれる、Y字型の交差点。
休屋でも大きいホテルの、目の前です。
ここに流れる「神田川」が、青森県と秋田県の県境になります。 
そこに地味に存在している「白看」・・・「十和田市」と書いた標識の下に
劣化で文字は消えかかってますが、「青森県 AOMORI PREF」と書いています。 
ちなみに「十和田市」の標識が新しいのは
平成17年1月に旧十和田湖町と合併して、今の十和田市になったので
合併以降に、標識が置き換えられたものと推測します。 
なお、この標識のそばに
「十和田湖開發之碑」って、記念碑もありました。(参考まで) 
 以上、休屋で発見した「白看」のリポートでした。
本日はここまでっ  2014.5撮影

2014年5月9日金曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その9/岩手・軽米町にて

また旧道路標識、通称「白看」の話であります。

場所は岩手県軽米(かるまい)町の円子(まるこ)地区。
岩手県道22号(軽米↔九戸線)を走ると
現在の県道から、脇に逸れた「旧道上」に存在します・・・しかも゛3か所゛(*_*)

厳密に言うと、T字路の交差点で、各方向からの行き先が表示されています。
でも、これだけの短距離に現存してるのは、珍しいというか・・・見事であります。

まずは、1か所目。簡易郵便局のそばにあります。
現在の県道からでも、目を凝らせば見つける事が出来ます。
2か所目。1か所目の゛反対側゛にあります。
支柱に、ツタが絡まりかけていました。
支柱の脇には、「スクールゾーン」なんて標識もありました(←おまけ)
そして3か所目。住宅の脇にあります。
これも、今の県道から見える所にあります。
ここがかつて旧県道上で、主要な交差点であったことは
想像するに、難しくないです。

以上、集落の道路に゛ひっそり゛と存在する「白看」の話でした。

本日はここまで。  2014.4撮影
※残念ながら3カ所とも、現在は有りません(2018.8確認)

2014年3月29日土曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その8/岩手・一戸町にて

久々に旧道路標識、通称「白看」の話です。

場所は、岩手県一戸町
岩手県道5号(一戸↔山形線)との交差点。
旧国道4号(奥州街道)に入って、すぐの所に存在します。(⇓)

実はこの標識の存在を知ったのは、約3年前。
初めて見た時は、支柱も標識も゛ボロボロ゛すぎて
撤去は遠くない・・・と踏んでいました。(⇓)
※2011.10.10撮影

しかし先日、再び訪れたところ・・・存在してました。
カメラのズームを用いて、写真撮ってみました。
前回よりも、表示がハッキリ見えました。(⇓)

「⇐盛岡6◯Km。青森⇒133Km」・・・錆の部分はありますが
実はかなりの部分が゛水あか゛だったことが分かります。
でも劣化が進んでいることは、確かです。

おそらく、いづれは撤去されちゃうのかな・・・
本日はここまで。  2014.3撮影

※撤去されました。(2015.5確認)

2013年10月19日土曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その7/青森・三戸町にて

久々のブログ更新であります。
だけど、最近遠くに行ってないので
今年の前半に撮った写真から、ネタをあげてみます・・・

以前、青森は南部町に現存している 「白看」の話を書いたけど
その先を行ったらどうなるか?・・・今年の4月、実際に車で走ってみました。

ありました。旧道路標識の「白看」が・・・(⇓)
三戸町宇藤坂にて
場所は、三戸町の宇藤坂(うとうざか)集落
要は国道4号線(三戸バイパス)に、戻る感じになるんですけど
地味に存在してました・・・。

しかも、゛現在の標識゛と゛南部バスのバス停゛と
「惑星直列」みたいな形で・・・(⇓)
三戸町宇藤坂にて/写真右の道路に曲がると
「ボートピアなんぶ」の付近に出る
この写真を撮ってた時、集落の人が不思議そうな顔して見ていましたけど
事情を説明したら
「今の標識ばっかり見てて、気づかなかったじゃ。ハハハ・・っ」って笑ってました。

そのくらい、集落の風景に溶け込んでるんだなと・・・納得(^^)

本日はここまで  2013.4撮影

※残念ながら、撤去されました。(2015.5確認)

2013年7月31日水曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その6/青森市にて

前回に続き、青森市内に現存する
旧道路標識゛白看゛のつづきであります。

場所は、青森市青柳(あおやぎ)
前述した安方地区から、東側へ2キロ位の地域であります。

そこにある「莨町(たばこまち)小学校」そばの交差点に
゛白看゛は存在しています・・・(⇓)
やはり市道の標識ゆえに、表示が細かいです。
これも、白看ならではの゛味゛なのかな・・・?(⇓)
さて・・話をもうひとつ。
実はこの標識がある交差点の傍らに
「焼きそばがウマイ」・・・といわれる食堂があります(確か゛鈴木゛さんって名前だと思うが)

写真を撮るために、この場所へ立ち寄った時、気が付いたんだけど
昼飯食べた後だったので・・・ちよっと悔しかったな。

゛宿題゛増えたかもね・・・
本日はここまで   2013.5撮影

2013年7月30日火曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その5/青森市にて

「旧道路標識」通称゛白看゛のハナシ。
実は青森市の、とある場所に存在します。

場所は、青森市の安方(やすかた)
いわゆる「アスパム」や「ベイブリッジ」の近所であります。(⇓)
ましてや、写真を見て゛ピン゛と来た方も居ると思いますが
突き当りに「ねぶたの家・ワラッセ」が写っています。

すなわち、ここは「青森駅」からも「新町通り」からも近い、ガチで゛街中゛であります。
そこに゛白看゛は地味に存在します。

ただ市道に存在する「標識」ゆえに、距離の書き方が細かいです。
「◯◯まで◯◯メートル」ってな具合で・・・。(⇓)
今も、立派に「道案内」の御役目を果たしています。

もう一つ、青森市内に現存する゛白看゛があるんですけど
続きは、次回の講釈にて・・・。

本日はここまでっ  2013.5撮影

2013年6月13日木曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その4/十和田市・蔦温泉にて

そういえば、昨日のテレビのニュースで
「蔦(つた)温泉、営業再開・・・」なんてやってましたけど

実は、この「蔦温泉」の入り口付近にも
旧道路標識の゛白看゛地味に残ってるんだな・・・(⇓)
国道103号・蔦(つた)温泉入り口付近/十和田市奥瀬
十和田市の焼山(やけやま)地区、十和田湖温泉郷付近から(※奥入瀬渓流に入らず)
国道103号を、蔦川沿いに車を走らせると
結構きつめの上り坂(要はワインディングなのだが・・・)を
登りきった所に、秘湯「蔦温泉」があります。
現存する白看・その1/青森方面への案内標識
確かに、この温泉の入り口付近に゛白看゛はあるのですが・・・
でも、今まで取材した゛白看゛と「何かが違う」??。
現存する白看・その2/蔦温泉入口(十和田市側)にて
実はこの゛白看゛ 鉄板製ではなく
強化プラスチックみたいな材質で、出来た物なのであります。
(※実際の材質は知らないけどね・・・悪しからず)

経年劣化等で゛やつれた゛雰囲気も無く
維持管理が行き届いている感じもあります・・・。
現存する白看・その3/反対側(青森側)にも存在。
こちらは結構、ボロボロになってますけど・・・
今でも、道路脇に゛鎮座゛しているので
興味を持った方は、探してみて・・・すぐ解かりますけどね。

これも「まわり道」の醍醐味です・・・(^^)
本日は、ここまで  2013.4撮影

2013年4月15日月曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その3/青森・三戸町にて

先日、このブログで
旧国道4号の土木遺産・「青岩橋(せいがんばし)」を紹介したんだけど
旧国道4号/青森県三戸町目時
その「青岩橋」の青森県三戸町側には、距離にして僅か数百メートルの間に
かつてここが「国道」だった事を偲ばせる「遺構」が、今もそのまま残っているのよ。

当然ながら・・・古い道路標識「白看」も健在なわけで。

まずは「旧道」に入ってすぐ、ガソリンスタンドの後ろ側にある案内標識(⇓)
「盛岡87Km、福岡10Km」・・・ん、福岡??
決して「福岡県福岡市」の事では無い。
ここに於いての「福岡」は 現在の岩手県二戸市の事である。

昭和47年4月1日に「福岡町」と「金田一村」が合併して、二戸市が発足してるので
この標識は、それ以前に設置されたものと認識。

その先を少し進むと、カーブの頂きのところに
朽ちかけた道路灯と、「青岩橋」と書かれた白看が(⇓)
ローマ字と併記して書かれた標識が・・・年代を感じさせる。
でも支柱がボロボロなので、かなり斜めになってる(^^ゞ
そして「青岩橋」のたもとには
ここが゛県境゛だったことを偲ばせる「案内標識」が・・・
「青森115Km、十和田41Km」
たぶん現在の国道4号でも、大差の無い距離である。
ちなみにこの白看の傍らに、かつては
「青森県 AOMORI PREF」と書かれた、県境を示す白看も存在したんだけど
現在その姿は無い・・・(朽ち果てたか)。

さすがに舗装は当時のまま・・・って訳にはいかないので
アスファルトは敷き直されている。ガードレールも割と新し目な感じである。
この界隈、このまま
「青岩橋」と一緒に残してくれればいいんだけど・・・無理だろうなぁ。

このまま朽ち果てて逝くだけか・・・(泪)

ちなみに、この「旧道」の入り口付近って
隠れた゛桜の名所゛でもある。
これからの時期、ちょうどいいかもね(^^)・・・本日はここまで。
2011.5.3 国道4号/青森県三戸町目時にて
◎2012.10/2013.3撮影 (表記している以外)

2013年3月4日月曜日

まわり道…「白看」のある風景・その2/青森・南部町にて

去年撮った写真からひとネタ。

以前ブログで、かつての道路案内板(標識)
通称「白看」を取り上げたことがあったけど

こんな所にも残ってたんだなぁ・・・

場所は青森県は三戸郡南部町・大向(おおむかい)
国道4号・「ボートピアなんぶ」の交差点付近である。

いわゆる「旧道」と「バイパス」の分かれ目
その交差点から、ナンボも行かない所に「鎮座」しておりました。

山間部の集落へ案内するための「白看」です。
2012.5.5(土) 青森県南部町大向にて
旧国道4号(奥州街道)沿いに残る「白看」です。
写真を撮った時も、それなりに
クルマの往来がありました。

ここが、かつての「幹線道路」だったことを示す
名残りだったと思います・・・。

本日はここまで。 ◎撤去されました(2015.10確認)

2012年7月8日日曜日

まわり道・・・「白看」のある風景・その1/八戸市にて

2012.7.8(日)
八戸市・轟木にて/青森県道15号 橋向五戸線
尻引・市川方向を見る。
まずは上の写真を見て欲しい。
八戸市の轟木(とどろき)地区で、撮った1コマである。

興味のない人から見ると
ただの「道路」と「道路標識」の写真にしか見えないと思う。

しか~し・・・その手の「マニア」にとっては
「ほお~!」って、言いたくなる存在なのである。

実は写真に写っている道路標識
マニアの間では、通称「白看(しろかん)」と呼ばれているものである。
昭和20年代の中頃から、昭和40年代の中ごろまでに
造られた標識の゛生き残り゛である。

当方マニアじゃないので
あいにく、これ以上の正確なデータは持ち合わせていない・・・

いまの「道路標識」に比べると、かなりシンプルである。
書いてあるのは、「矢印」と「行き先」と「キロ数」だけである・・・

それでも・・・カーナビも、なんも無かった、昔のドライバーは
みんな この標識を頼りに、クルマを走らせたんだろうね・・・


それに比べると・・・道路も改良され、カーナビも普及した
今のオイラたちは、ナンボ楽してるもんだか・・・・

きょうは、ここまでっ。  ※ 残念ながら、撤去されました。(2014.1確認)